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私について

プロフィールを読みにきてくださりありがとうございます。せっかくなのでどのような人間か少し知ってもらえると嬉しいです。

このブログは

主に文章を書きたい時の自分の欲を満たすためにあります。

旅が好きで、世界一周した時にブログを書いていたけど、自分の感想部分と旅の便利情報がごっちゃになって書かれていて、自分の気持ちの部分だけにフォーカスしたものを別途書きたいと思って立ち上げました(本当に書くかはわからない)。

他にも日々に思っていることや、子育てという新しい体験で感じたことなどを書き留めておきたいという気持ちもあります。

ブログのタイトルは、我が子が外で初めて強めの風に当たった時に、手足をばたつかせてすっごくはしゃいでいた姿があまりにも新鮮で、人間って風が吹くだけで喜んでいたものなんだと感激したことから付けました。いつでもその気持ちを忘れないように生きていきたいな、と。

「また、」というのは繰り返しの意味もありつつ、占いで「何か始める時には『は行』か『ま行』のつく名前がいい」と言われたから取ってつけたかのように付けました。

プロフィール

1982年東京生まれ。女。一児の母。既婚。

高校は進学校に通いながらも受験勉強に意味を見出せなくなり&他の人と違うことをしたくて離脱。いきなり海外留学すると宣言したものの親の説得を受けて短大へ推薦入学後、イギリスへ語学留学。

1年程度で帰国したのち、職歴も学歴も英語力も不十分で完全に路頭に迷う。父のコネで何とか就職しようとするが全て失敗し、折り込みチラシに入っていた地元の歯医者の求人に応募して初めての就職。

歯医者の受付と助手をやり、それなりにうまくやっていたが、先生と合わない職員へのハラスメント傾向に怯えた&先生のご子息を紹介されたことにより、このままここにいてはいけないと思い半年で退職。

せめてもう少し興味のあることをやろうと本屋でアルバイトを開始。その時に友達から紹介された高校の先輩にお前が本当にやってみたいことって何なの?ちゃんと生きろよ」みたいなことを言われて悔しくて一念発起。絶対にできなさそうだけどやってみたいこととして『世界一周』の目標を立てる。

24歳。お金を貯めるため本屋を1年で退職し、その先輩の紹介で某自転車が走り続けるゲームが有名な会社にアルバイト入社。そこで初めて仕事のイロハを教えてもらう(これがあったから今も生きていられる)。当初は問い合わせの対応を主にやっていたが、志願して正社員になり、ゲームやサービスのディレクターとして約5年働く。この時から安室奈美恵さんのガチのファンになる。

ちょうどiPhoneアプリが出た頃で、担当したアプリが日本含む世界44ヵ国で1位を獲得。その年の某賞を受賞したことが唯一文字に残せる功績。

今振り返ると超絶ブラック企業(給与が良かったのは救い)だったから、だいぶそこで理不尽な難題をやり続けて鍛えられたなぁとは思う。次々と同僚が病んでいくのを見ながらも、明日は我が身で洗脳状態だったから何もしてあげられなかったなぁと退職してから後悔した。ここでの経験は今も仕事を選ぶときの重要な指針になっている。

2011年、29歳。プロポーズをきっかけにいよいよ世界一周の旅へ出るべくゲーム会社を退職し、(結婚したら長期で一人旅してきます、というのは難しいだろうと思ったため)決死の覚悟で旅に出る。一番危険だったのはブラジルで強盗に遭ったとき。しかし物を盗られただけで無事だった。北米、南米、西ヨーロッパを周って2012年に帰国。

帰国後、ゲーム会社時代の後輩の誘いで不動産系の会社にて未経験の経理業務の手伝いをする。期間限定で働き軍資金を得て、2013年に再び世界一周の旅に出発。

2回目は東南アジア、南アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカを周って2014年に帰国。

そのまま出発前に働いていた不動産系の会社にてシステム関連のヘルプデスクやプロジェクトのPMOとして3年勤務。今度こそ結婚して日本に定着するかと思われたが、血が騒いで2017年に再び世界一周の旅に出発。

まだ行けていなかった東南アジアやヨーロッパの国々、中国、ハワイを周って2017年に帰国。安室奈美恵さん25周年沖縄ライブがあったため、旅の途中で日本に寄ったが、まさかの引退宣言という衝撃。

そのこともあり、ここらで何かの一区切りだろうと感じて残りの旅路を終わらせたのちに、2018年の引退ライブ翌日に沖縄で入籍。子どもを持つつもりがなかったが、コロナ禍で気が変わり2022年に出産。文字通り生活は一変したが、大変興味深く楽しい日々を過ごしている。